先日、わたしがやる予定の新しい仕事について、年上の男性と話をしました。
ハードルが高いように感じていて、少し不安要素があるとも伝えました。
その男性は、わたしの話に対してポジティブな意見を言ってくれました。
要約すると
わたし:「〇〇をする予定で、未知の世界だから少し不安。」
男性:「そんなのやってみないとわからない。」
わたし:「もちろん、チャレンジするし、がんばる。」
男性:「チャンスだから、前向きにがんばって。」
たった2~3分の他愛もない話でしたが、何となく後味が悪い・・・
これは一体何だろう。
わたしを励ましてくれたのに。
心の中に分厚いグレーの曇がかかったような、もやもや感。
しばらして、気付きました。
「わたしはただ、共感してほしかったのかもしれない。」
気持ちに晴れ間が見えました。
ごもっともの正論なんて、聞きたくなかった。
自分自身が一番良く分かっていることをわざわざ指摘されても。
「未知の世界に踏み込むのは大変だよね~」
「でもきっと大丈夫だよ!」
そのような言葉を欲していたのかもしれません。
人は落としどころを求めるのでしょうか。
しっくりくるような答えを探してしまいます。
そして様々な著書に書かれている、女性と男性の脳の違いが頭に浮かびました。
女性は会話に「共感」を求める。
男性は会話に「解決」を求める。
そもそもの脳の特徴が違うということは、有名な話です。
まさにわたしは、共感を求めていました。
個人的に、女性脳、男性脳といった分け方をすることはあまり好きではないので、傾向があるという意味で軽く捉えています。
人それぞれ色んな価値観や考え方がある中で、一概に分類できないと思うからです。
それでも、今回のようにコミュニケーションに疑問を覚えた時の手助けとして、女性脳と男性脳の特徴を知っていると、救われる部分が多いような気がしました。
もし逆に、誰かがわたしに今回話した内容を言ってきたとしたら・・・
「共感」の言葉と共に激励することができたら、きっと相手の気持ちは軽くなると思います。
正論による、もやもやした気持ちは生まれません。
誰に対しても共感の心を伝えることができたら・・・
決して今回意見をくださった男性を卑下しているわけでありません。
そもそも、そこまで親しくない方に共感を求めるなんて。
わたし自身の気持ちの在り方を見直すべきところです。
相手を自分の思い通りにコントロールすることなんて、できないのだから。
自分が変わらないと。
会話なの中でどんな言葉が返ってきても、心がもやもやするような捉え方をしない自分でいたいと思います。
そして、誰に対しても共感を持って励ませるような心でいたいという学びを得ました。