タイトル:猫を棄てる 父親について語るとき
著者:村上春樹

 

机の上には「猫を棄てる 父親について語るとき」。

淹れたてのコーヒー。

音楽なし。

外から聞こえる鳥のさえずり。

あ~、幸せな時間。

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約1時間後。

読み終えました。

「猫を棄てる 父親について語るとき」は、村上春樹さんのルーツに触れられるエッセイ。

わたし自身、妹の影響で数々の作品に触れてきました。

熱烈なファンの方々のように、奥深い見解を持つことはできませんが・・・

それでも本書を読む中で、いくつか関連性のある作品を思い起こしました。

 

本書では、タイトルの通り猫を棄てるエピソードの他に、もう一つ猫に関わることが書かれていました。

大きな松の木に登って行った子猫が降りれなくなり、あまりに上に行ってしまったので助けることもできず。

小さな鳴き声も聞こえなくなり、その後子猫を見ることはなかったという実話。

これは、「スプートニクの恋人」にもありました。

子猫は「あちらの世界」に行ってしまったのです。

実際にあったことが別の作品に反映されていることを知ったとき、何とも言えない心躍る気持ちになります。

その他にも戦争についての内容は、他の作品に繋がる部分が多いようです。

「あ、これはあの作品に繋がっているのかも。」など、大好きな人の知られざる秘密を知れたかのような感覚は、ファンにとっては堪らないものです。

青春時代を無残で非道な戦争と共に、奇跡的に生き延びた父。

その父にどことなく心の距離を置いていた村上青年。

父が人を殺傷するという行為をしていたのだろうか。

どうか、そうであってほしくない。

詳しく戦争を語らない父と、それについて聞かない村上青年。

絶妙な距離感で過ごしていたことがわかります。

だからこそ、作者の記憶に残っている父とのエピソードが、ごくごく平凡なことなのではないでしょうか。

僕は今でも、この今に至っても、自分が父をずっと落胆させてきた、その期待を裏切ってきた、という気持ちを(あるいはその残滓(ざんし)のようなものを)抱き続けている。
P61より引用

この文章が、作者が本書を通して父と向き合うことが必要だと感じた理由に思えました。

平和な時代を生きている作者。

戦争という、平和とは真逆の時代を生きてきた作者の父。

父の期待に応えて認められたいし、誉めてもらいたい。

ただそこには、純粋に父を愛し父の心に寄り添いたいという気持ちを阻むかのように、戦争というものが存在していた。

とても切なく感じます。

「世界の村上春樹さんも、父と母の子供なんだ。」

当たり前のことですが、人間、村上春樹さんを感じた作品でした。

今は、村上春樹さんの作品を読み直したいという気持ちでいっぱいです。

ルーツを知った上で改めて作品に触れると、また新しい発見が待っていると思います。

全ては奇跡。

もしお父様が戦争で亡くなっていたら、世界の村上春樹は存在していない。

わたしは作家、村上春樹さんに出会えた奇跡に感謝し、これからも心の潤いと学びを得たいと思います。